平成23年3月11日14時46分18秒
宮城県沖130㎞の海底を震源とした日本観測史上最大規模の地震が発生しました。
この地震により大津波が発生し、太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした『東日本大震災』。
この大震災の3日後、佐賀県内の7消防本部(局)から緊急消防援助隊佐賀県隊の50名が召集され、杵藤地区消防本部からも2隊8名を派遣しました。
【緊急消防援助隊とは】
平成7年1月に発生した『阪神・淡路大震災』で大規模な消防応援が実施されましたが、戦後空前の大災害、加えて初めての事案だったこともあり、応援部隊の初動・編成・活動等に関する規定やマニュアルが整備されておらず、主に指揮統制や運用面で多くの課題を残したことから、全国の消防機関による消防応援を迅速・円滑に実施するため、平成7年6月に発足したものです。
平成23年3月14日11時25分
総務省消防庁長官から佐賀県知事を通じて
緊急消防援助隊佐賀県隊に出動要請。
この出動要請の連絡を受け、消防本部で緊急所属長会議や資機材等の準備、事務方の調整等を終え、杵藤地区緊急消防援助隊の隊員たち8名が消防本部に召集されました。
佐賀県隊は高速道路を新門司港へ向け出発。
新門司港からフェリーで大阪南港まで向かいました。
3月15日08時 大阪南港到着。
陸路で進出拠点の京都市活動総合センターへ
この時点でも被災した市や町では、行方不明者数がなかなか把握できず、どのエリアに、どの部隊を投入するかなどの調整が難航していました。
行き先は決定しておらず、佐賀県隊は「とにかく東京方面へ進出せよ。」ということだけでした。
神奈川県総合防災センターまで約420㎞移動します。
神奈川県総合防災センターへ移動中の
3月15日22時28分
東名自動車道の静岡県沼津市付近を通過中、静岡県東部地震(震度6)に見舞われ、横揺れにより走行出来なくなりました。
すぐに総務省消防庁から佐賀県隊に付近の災害対応を行えと命令がありましたので、一番近い御殿場ICで下り、静岡県沼津市の災害対応を行いました。
この時の地震で住宅火災が1件発生しましたが、地元で対処するとのことで23時50分解除となりました。
同日09時30分
この時初めて、総務省消防庁から佐賀県隊は岩手県九戸郡野田村に向かうよう命令がありました。
同日10時12分
東名自動車道に入り岩手県九戸郡野田村を目指しました。
岩手県九戸郡野田村は岩手県の北東部にあり、太平洋に面した人口4,600人の村です。
東京からの高速道路は災害支援車両専用となり対向車もなく異様な光景でした。
ここから先は、各パーキングエリアにガソリンスタンドはあってもガソリンや軽油が品切れ状態で、行く先行く先で情報収集しながらも、いつ燃料が無くなるかという不安の中で岩手県へ向け高速道路を北上しました。
地震の影響で高速道路が波打ち、さらに亀裂や陥没もしており、陥没がひどい所では50㎝の場所もありました。
福島原発の被害の規模も分からないまま、放射線測定器を携帯し、福島県内の高速道路を通行しました。
東北自動車道を北上中、高速道路上で隊員たちが携帯していた放射線測定器のアラームが鳴り始め、車内で10マイクロシーベルトを検出しました。